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2007年12月12日

キャリア制度の厳しさ

シビアな現実ですね。
歴史を少し調べてみました。


キャリア制度とは、明治時代に日本を近代国家にするためドイツの公務員採用制度を参考にし、1888年にスタートした試補制度に起源をもつ。このときには帝国大学出身者は無試験で任用できるようにし、不足した人数を帝国大学出身者以外の試験選抜という形で採用した。もっとも、帝国大学卒業者の無試験任用には批判が多く、1894年に高等文官試験(高文試験)と呼ばれる今のキャリア採用制度と同様な制度が誕生した。高文合格者は高等官と呼ばれたが、他の官吏(判任官など)とは勅令によって厳格に区別され、現在のキャリアと比べても極めて速いスピードで昇進した。戦後、GHQは従来の身分制的な公務員制度を改めるべく、アメリカ的な職階制の導入をはじめ様々な改革を試みたが、各省の抵抗もあって不徹底に終わった。高文試験は名前を変え国家上級を経て国家I種となったが、採用制度と昇進制度は殆ど変化していない。戦後は制度上廃止された高等官に代わり、「キャリア」の語が俗称として定着した。

武官については、陸軍大学校と海軍大学校卒業者が高文合格者に類似した形で各軍における指導的な地位についていた(ただし、大学校を卒業していないものでも将官まで昇進する場合も散見された)。戦後、陸海軍武官は実質自衛隊の自衛官となり、防衛大学校一般課程、各自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程・幹部高級課程、統合幕僚学校一般課程及び外国陸・海・空軍大学等の卒業生が指導的地位に昇進している。

なお、古代から官僚は存在し、メリット・システムによる官僚登用制度も存在していた(中国の科挙など)。しかしそれは、基本的に貴族や武士を対象とした世襲と門閥によるものであり、庶民が高級官僚になることは実際には厳しいものだった。やや例外的に、平安時代は、方略試という官僚登用試験が存在していた。この試験は当時の大学院生が対象であり、また当時の大学(大学寮)は入学資格として、五位以上の官人の子弟であることが要求された。江戸時代では、旗本と御家人の子弟のみを対象とした官僚採用試験が行われてはいた。

明治以来の高等文官制度、及び戦後それを非公式に継承したキャリア制度は、世襲や門閥による高級官僚登用を防ぎ、日本の近代国家化・発展に大きな役割を果たした。しかし、近年では官僚の社会経験の乏しさや、出身校の偏りなどが、学歴社会の問題と絡めて批判されることが多い。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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